お世話になった隣人
今週のお題「わたしの部屋」
2DKの我が家に、自分の部屋はありません ^ ^
3ヵ所ある窓のカーテンは、ピンクで統一している。
子供の頃に住んでいたアパートのカーテンは
オレンジ色だった。
部屋は今よりも狭く、風呂なしぼっとんトイレ。
両親の帰りが遅く、一人で待っていたが
外で待つ事もしばしば。
思えば、ご近所さんに恵まれていた。
1組目は斜め前の、年下のお友達のお母さん。
夕方、フロのスイッチを入れに外に出てくるのだが、その時に “ うちで待つ?“ と声をかけてくれる。
申し訳なさから『どっちでもえい』と答えると
来るよう促してくれる。
おかげで、淋しくなかったし夕食も同じものを
いただいた。
だんなさんは会社社長で、とても腰の低い方。
移動手段はカブ。
お互いに、気がついた時 笑顔で会釈しあう。
気にかけてくれてる感が嬉しかった。
会釈は思いやりだと思う。
人を選ばない。
最近では駐車場に停める時。
遊んでいる子供が寄ってくれた際に会釈するのだが
多くは相手もしてくれる。
ほっこりする (*´ー`*)
2組目はアパートの2つ隣の部屋のおばちゃん。
60~70代であろう彼女も、
家に招いてくれてパズルなどで遊ばせてくれた。
夏はスイカや かき氷を出してくれる。
趣味は花を育てること。
ドアの前には植木鉢がズラリ。
やはり腰が低く、子供の私にも敬語だった。
おじさんは目が悪く、黒いサングラスを
かけていた。
趣味は絵を描くこと。
ペンで描いていたと思う、部屋にも飾っていた。
私の親は、年中ケンカをしており、
その事を気にかけてくれていた。
父が酔ってない時に
軽く諭したり励ましてくれたり、
子供の私にも声をかけてくれた。
父は、他人には従順だった。
子供は2人いたが娘は嫁いでおり、息子さんと3人暮らし。
大人しい息子さんと喋ったのは、
私が大人になってから後に訪ねた時。
理由は定かではないが、おじさんかおばちゃんが
亡くなったのを知り伺った時だと思う。
彼は、土建屋で働いていた。
私がBOOWYが好きと知って、彼らの曲が入った
カセットテープを別の部屋から探してきて、
くれた。
その息子さんがアパートの火事で亡くなったのを
ニュースで知った。
40~50代だろう。早すぎる。
皆さん私を温かく育んでくれて、ありがとう
ございました。
1組目の家族も転居し所在は分からない。
出来ることなら、恩返しをしたい。
小6の担任、森尚水先生にも
大変気にかけてもらった。
私は周りに恵まれて育った。
思い出してありがたみを感じる。
この思い出が、心の支えでもある。
私も相手かまわず、愛情全開でいこうと思う ♪
ノスタルジーを語っても … 馬の耳に念仏でっせ ww
pixabay :Raoulpixa