珍道中☆ハイヤーセルフと二人づれ

好きなコトバは『他力本願』 四国在住のアラフィフ。ハイヤーセルフ♪目に見えない存在と共に歩める幸せに どっぷり浸っています。珍道中になるであろう私の体験キロク。見てくださる方の心が軽~くなるような ブログにしたいです♪

お世話になった隣人

今週のお題「わたしの部屋」

2DKの我が家に、自分の部屋はありません ^ ^
3ヵ所ある窓のカーテンは、ピンクで統一している。


子供の頃に住んでいたアパートのカーテンは
オレンジ色だった。
部屋は今よりも狭く、風呂なしぼっとんトイレ。


両親の帰りが遅く、一人で待っていたが
外で待つ事もしばしば。


思えば、ご近所さんに恵まれていた。
1組目は斜め前の、年下のお友達のお母さん。

夕方、フロのスイッチを入れに外に出てくるのだが、その時に “ うちで待つ?“ と声をかけてくれる。


申し訳なさから『どっちでもえい』と答えると
来るよう促してくれる。

おかげで、淋しくなかったし夕食も同じものを
いただいた。

だんなさんは会社社長で、とても腰の低い方。

移動手段はカブ。
お互いに、気がついた時 笑顔で会釈しあう。
気にかけてくれてる感が嬉しかった。

会釈は思いやりだと思う。
人を選ばない。

最近では駐車場に停める時。
遊んでいる子供が寄ってくれた際に会釈するのだが

多くは相手もしてくれる。
ほっこりする (*´ー`*)


2組目はアパートの2つ隣の部屋のおばちゃん。
60~70代であろう彼女も、
家に招いてくれてパズルなどで遊ばせてくれた。

夏はスイカや かき氷を出してくれる。
趣味は花を育てること。
ドアの前には植木鉢がズラリ。

やはり腰が低く、子供の私にも敬語だった。

おじさんは目が悪く、黒いサングラスを
かけていた。

趣味は絵を描くこと。
ペンで描いていたと思う、部屋にも飾っていた。

私の親は、年中ケンカをしており、
その事を気にかけてくれていた。

父が酔ってない時に
軽く諭したり励ましてくれたり、
子供の私にも声をかけてくれた。

父は、他人には従順だった。


子供は2人いたが娘は嫁いでおり、息子さんと3人暮らし。

大人しい息子さんと喋ったのは、
私が大人になってから後に訪ねた時。

理由は定かではないが、おじさんかおばちゃんが
亡くなったのを知り伺った時だと思う。

彼は、土建屋で働いていた。
私がBOOWYが好きと知って、彼らの曲が入った
カセットテープを別の部屋から探してきて、
くれた。


その息子さんがアパートの火事で亡くなったのを
ニュースで知った。

40~50代だろう。早すぎる。
皆さん私を温かく育んでくれて、ありがとう
ございました。


1組目の家族も転居し所在は分からない。
出来ることなら、恩返しをしたい。


小6の担任、森尚水先生にも
大変気にかけてもらった。

私は周りに恵まれて育った。
思い出してありがたみを感じる。

この思い出が、心の支えでもある。
私も相手かまわず、愛情全開でいこうと思う ♪





ノスタルジーを語っても … 馬の耳に念仏でっせ ww
f:id:origimal-jamp:20200412215804j:plain
pixabay :Raoulpixa