珍道中☆ハイヤーセルフと二人づれ

好きなコトバは『他力本願』 四国在住のアラフィフ。ハイヤーセルフ♪目に見えない存在と共に歩める幸せに どっぷり浸っています。珍道中になるであろう私の体験キロク。見てくださる方の心が軽~くなるような ブログにしたいです♪

プロフェッショナル仕事の流儀 虐待を考えるキャンペーン 高橋亜美 (中編)

(前編の続き)

 

この日は、かつて養護児童施設に入っていた
男子大学生の相談にのるため福岡へ。
男「就活悩んでるんだけどしたい事が分からない」

 

高橋「色んな人の意見も聞きながら、でも一番
大切なのは自分の気持ちだから。
何だろう… 生きてきた○○君だから今こんなに
ステキなんだと思う 。大丈夫、悩みながらやって 
^  ^    何かあったら また連絡して」

 

自らの力で社会に漕ぎ出そうとする男性。
その姿を見ることが何よりの喜び。

 

高橋さんとは?
男「言ったらお母さんみたいな感じです。笑
お姉さんみたいな感じです」

 

 

高橋は1973年岐阜生まれ。
子供2人を育てる今も住んでいる。
東京の職場までは、片道2時間以上。

 

小4の時、父の元で卓球を習いはじめた。

 

普段、おおらかな父が卓球になると豹変。
ミスすると叱責、顔や体を叩かれた。 

 

現在、近所に住む父は穏やかな口調。
父「全国大会に行ってもらいたい夢を押しつけた。
人一倍 厳しくっていうような」

 

死にたいと思うようになっていた彼女。
いつも通る歩道橋では通るたびに飛び降りる事を
想像していた。

 

彼女に居場所を作ってくれたのは親友だった。
ありのままの彼女を受け入れてくれた。

 

高橋「亜美が決めた事だったらソレでいいんじゃ
ないの、といつだって言ってくれる友達で
そういう存在があるって どんどん楽に
なっていくっていうか… 自分を生きることが」

 

 

大学で児童福祉を学んだ。
虐待で傷ついた子供達の心が知りたかった。

 

そして自立援助ホーム (虐待や貧困などで、親元を
離れた若者が共同で生活する施設) で働きはじめた。

 

私なら彼らを幸せにできる。
時間の許す限り、子供達と向き合い全力で励まし
た。でも反応は予期せぬものだった。
 
「お前なんかに何が分かるんだ」
「クソババア」

 

何故受け入れてもらえないのか分からなかった。
そんなある日電話が鳴った。親友からだった。

 

彼女は「死にたい」と…
” そんな事いうな!こっちが苦しくなるでしょ ”
生きててほしい、私が怒るのは大切に思ってる
からなんだとワーっと言った。
 
親友は すごく怒った 「 お前に何が分かる!
こっちも死にたいって言いたくて言ってんじゃ
ねえんだよ!お前なんかにそんな仕事出来ねーわ」
と返ってきた。

 

数日後 謝りの電話をくれる。
「 酷いこと言ってごめんね。仕事辞めないで。
お前なんか無理だ、向いてない、分かんないって
言ったけど亜美は仕辞めないで 」

 

2日後、親友は命を断った。

 

働き始めて5年が過ぎた。施設を巣立った女性から
連絡がある。死にたい…  女性は妊娠していた。

 

施設を出た後、生活が立ち行かなくなり、やむなく
性風俗で働き妊娠させられたという。
高橋さんは自分の不甲斐なさを痛いほど感じた。

 

女性とたくさん話をして関係を育んだつもり
でいたが、一番苦しいこと一番困ってることを
言えない関係しか結べてなかった。

 

自分がしてきた事は優しさの押しつけでは
なかったか?

 

決めた。頑張れとむやみに励ますのは
やめよう。彼らの苦しみをただただ大切にした。
かつて親友がしてくれたように。
 
「そうだよね」と寄り添った。
やがて子供達の暴言は減っていった。
もう2度と苦しむ人を独りきりにしたくない。

 

37歳の時、今の相談所を立ち上げ、施設などを
出た人の支援をはじめた。

 

PCに ” 助けて下さい ”の文字。
SOSの声は四六時中届く 。これ迄1000人の
相談を受けてきた。

 

自らの不甲斐なさに数えきれない程の涙を
流した。でも一人一人と一生をかけて付合うと
決めた。

 

心が折れそうになると、やって来るのは、ふる里の
長良川。 あの親友が「何カッコつけて言ってんだ
よ」とか言ってくる感じ。
 
その辺に居そう。
高橋「ポケモンのエンディング曲で岡崎体育
” 出会えて良かったキミに決めてほんと良かった ”
って歌があって大好きなんだよ ( 歌:ポーズ )

 

ポケットにぎゅっとしまい込んだら、手を取り
合って歩こう、苦しい時も一緒だよ大人になった
時にまた ここで会えるように」

 

父との関係に変化があった。

 

父「普通に今接してもらっているので、本当に
嬉しいなと思いますね 。もっと冷めた親子関係に
なってても不思議はないと思うしね」

 

彼女は笑顔で頷きながら聞いている。

 

高橋「何で (冷めなかった) だったかっていう事を
私はもう見つけられた。
育ててくれてありがとう、一緒に生きてくれて
ありがとうって、それは心からの気持ちで言える。
でもあの時、私は痛かったよ苦しかったよって
いうのも、それも堂々と( 父に )言えるから」

 

                 

                                               ( 後編につづく )


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pixabay :deesvisuals