” ひとりぼっちで死なせない ”~依存症高齢者の介護施設~中編
沖縄出身の新城秋男さん(66) アルコール依存。
脳梗塞後遺症で右足が不自由、杖歩行。
断酒歴8年。家族・子供2人とは30年以上
音信不通。
施設のごみ掃除や、同じ寮の菅沼さんの車イス
など身の回りの世話を自ら行っている。
この日も飲物を譲ってあげたりタバコに火をつけ
手渡してあげていた。
新城さんはアルバムを大切にしている。
職員に頼んで作ってもらったものだ。
スタッフの子供の写真・名前・一言メッセージなど
が貼られている。自分の孫みたいに眺めながら
1日1日を過ごしていきたいと枕元に置いている。
かつて、自ら捨てた家族の温もり。
後悔しても取り戻すことはできません。
家族に会いたい気持ちが募っていました。
施設に度々 ” 帰りたい ” と訴えます。
生後まもなくアメリカ軍に捨てられていた。
父がアルコール中毒。逃れようとした母に置き去りにされた。
養護施設から引き取り育ててくれたのは祖母のメガさん。食事にも事欠く貧しい生活の中、
新城さんを可愛がり高校にも通わせてくれた。
叔父の電気屋で働き結婚。しかし倒産。
酒に救いを求め離婚し子供とも別れる。
可愛がってくれた祖母も亡くなった。
東京に出てきて朝から酒浸り。
ある日、脳梗塞で働けなくなりホームレスとなる。
区役所に保護を求めたのは57歳のとき。
祖母が亡くなった時も大酒を飲んで家に帰らなかった。
酒を止めて、どうしても実現させたい目標がある。
ふる里に胸を張って帰りたい。
死ぬまで施設に居るとは思うが …
祖母を看取った叔父に会って詫びたいと、ずっと
思っていた。
代表の栗原さんは、意を決して叔父に連絡をした。
電話に出たのは妻( 叔母 )。
” 自分は病気で歩けない。ごめん ”と新城さんに
ごめんを繰り返す。
栗原さんに電話を代わった時 電話は切れた。
親族の修復は すごくむずかしい課題。
受け入れ態勢が全くない所へ行ってみても
得られるものは悲しみしかない、辛い事の方が多い、と栗原さん。
その話しを彼は目を閉じ黙って聞いていた。
依存症の高齢者が最後に求めるのは家族との
繋がり。
しかし協力を得られる事は ほとんどありません。
ある日のデイのイベントは運動会。
少しでも元気を取り戻せるように定期的に行っている。
この日アルバムの子供達が会いに来た。
初対面だが彼は気さくに子供それぞれに
声をかけていき、お菓子をあげる等した。
新城「家族に囲まれて生活したら天国。」
後編へ続く
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